映画とは・・・

「人間のすべての文化は映画に集結する」

これは黒澤明やスピルバーグといった映画の巨匠が残した言葉です。

嘘です。そんな言葉ではなく私が映画とは何か、を考えた際に出てきたかっこいい言葉です。なんて、かっこつけたかったのですが先週の学生ブログにて後輩の鍛治に映画のトピックを先越されてしまいました。そのため2週連続で映画に関するトピックとなることをここでお詫び申し上げます。

申し遅れました、筑波大学体育会硬式庭球部3年の鏑木隆太郎です。このブログでは、自分がなぜ映画をみるのか、その魅力は何かといった意味のないようなことを考えました。私が綴るこの自己充足的文章は誰の得になるのかわからないですが、

映画をいつから見始めたのか、と聞かれると正確な時期は憶えていませんが小学生のころから好きだったことはよく覚えています。中学生のころには「テスト週間=部活を気にせず学校の帰り道に映画を見て帰れる週」と勝手に決め、実家の近くの映画館に入り浸っていました。

大学生となった今では部活と授業の合間を縫って多い時には年間170本、少なくても100本以上は鑑賞するようになりました。ここからはそんな自分が映画について改めて考え捻りだしてみたことをご紹介します。


1.映画はどこまでも娯楽なのか
まず結論として、映画はどこまでも娯楽です。このブログの始めにかっこつけた言葉「人間のすべての文化は映画に集結する」を記しましたが、実際にこの自分の言葉は間違っていないと確信しております。

なぜなら、人間が築き上げた文化・日常が無限に題材となり、表象されているからです。文化としては音楽、スポーツ、食、宗教、言葉、ゲーム、、、、キリがないほどの文化が映画に集結していますし、上に挙げたそれぞれのワードに関連した映画はネットで調べればいくらでもヒットする事でしょう。日常としても家族の在り方から、死について、友達について、孤独について、、、、あらゆる日常は描かれ題材として取り上げられています。

ただ、私の周りに時にこんな知識人が登場します。「映画は勉強になるし、自分は学ぶために映画を見ています」と。もちろん映画にはこれほど文化が集結しているわけですから、学びにつながることは当然です。

しかし、映画も言わずもがな文化であり例外を除き人を悦ばせるために作られた制作物ですから、映画を観る目的は終始〈楽しむため〉であるべきだと考えています(勉強の題材として、ある分野を学ぶための教材とする時を除きます)。もちろん、私も日常生活の中で、「あぁ、この言葉あの映画で聞いたやつだ」と色々な分野の人と薄っぺらいで内容ですが話に参加できた経験が幾度もあります。書き殴った自論ですが、ぜひ皆さんには娯楽として映画を楽しんでいただければと思います。


 
2.孤独の時間のはずなのに
映画を見る時はひとりです。たとえ家族や友人、恋人と見た時でさえ、その作品を感じ考えるのはどこまでも一人であり孤独でもあります。それなのにその娯楽としての映画は、孤独の自分に感性や経験を与えてくれる、と私は信じています。映画は娯楽としての性質上、どれだけ作品を見たとしても一見印象の残りにくい映画は時の経過とともに自分の頭の中で忘れていきます。

しかし確実に一つ一つの作品が今の自分の人間形成に関わっていると感じることがあり・・・・・・・・

 さすがに学生ブログとして長くなりすぎたためここで自粛させていただきます。語りかけるというよりもつらつらと書き連ねる文章となってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。

皆さんも自分の好きなものやことについて考え直すきっかけになる文章となっていると嬉しいです。続きは是非対面で語り合いましょう。

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